ブリマー・ブルーイング~スコット・ブリマー インタビュー その1
シェラネヴァダ・ブルーイングで働いていたころのスコット・ブリマーさん

2015年5月15日にオープンして以来、フジマルクラフトの主力はブリマー・ブルーイングです。醸造所はフジマルクラフトから2駅、10キロメートルも離れていません。メイド・イン川崎。文字通りのローカル・クラフトビールです。ペールエール、ゴールデンエール、ポーターの3定番と月に1度の限定版スペシャリティというラインナップ。高いクォリティ、いつ飲んでも安定した品質…スコット・ブリマーさんの作るビールは職人の手によるホンモノです。

いっぽうで、クラフトビール特有の突飛な発想、クレイジーなビール造り…とは全く無縁。敢えてトレンドに背をむけているのか? と、感じることもしばしばです。

スコットさんは何を考えていて、どうしたいのか…。

そもそも、今までどうやってキャリアを積み重ねてきたのか…ざっとした経歴ぐらいは知っていましたが、じっくりと話を聞くことはありませんでした。お互いに、結構、忙しいんですよね…。

 

フジマルクラフトがこれまで、絶対の自信をもってサーブしてきた主力ビールを作っているスコット・ブリマーさんがどんな考えでビールを醸造しているのか、どういう人なのか…4周年を機にじっくりと話しを聞いてきました。

結構、長いんで、数回に分けてアップしますね。

 

インタビューは2019年の2月に実施したものです。―はフジマルクラフトの質問。SBはスコットさんの回答。話はあっちこっちに飛びますが、できるだけ割愛はしないようにまとめました。

  • インタビュアー:フジマル・マスター
  • 通訳:ダリル・チネン

 

 

シェラネヴァダ・ブルーイングから始まった。

―最新のスペシャリティ、レジリエンスIPAはシェラネヴァダ・ブルーイングのチャリティですよね。なぜ、これを作ったんですか?

SB ヨシコと僕はカリフォルニア州のチコで出会って結婚した(カリフォルニア大学チコ校)。チコにはシェラネヴァダ・ブルーイングがあって、僕のブルワーとしてのキャリアはそこからスタートしてるんだよね。

で、去年11月のキャンプファイア山火事で、パラダイスという町が全滅した。パラダイスはシェラネヴァダ醸造所から車で15分くらい。僕がシェラネヴァダで働いている頃、住んでいた家のすぐそばだね。サンクスギビングなんかで招待してもらった友人の家も、かつてシェラネヴァダで一緒に働いた仲間の家も全焼したし、ヨシコと僕が良く一緒にでかけた家も、森も、灰になった。

その様子はSNSで入ってくるし、映像も見た。僕もヨシコも良く知っている場所が焼け跡になっている。自然が豊かで、ものすごくいいところなんだよ。僕とヨシコにとっては、あそこは特別な場所。僕はシェラネヴァダ・ブルーイングに助けてもらって、今ここにいるんだよね。彼らが助けを必要とする時にはできることをする。だから、レジリエンスIPAを作った。

もちろん、チャリティに参加して、寄付するのが目的だよ。

―シェラネヴァダから依頼があったんですか?

SB いや。あれはアメリカ国内に向けてのキャンペーンだから。でも、それは僕には大した問題じゃない。だからケン・グロスマン(※シェラネヴァダ・ブルーイング創設社長、オーナー)にメールした。ウチも参加するって。すぐに、キャンペーン・コースターを送ってくれたよ。

 

きっかけはツアーガイド

シェラネヴァダ・ブルーイングには何年間いたんですか?

SB 9年間。1997年から2006年だね。

―学生だった?

SB 最初は。1997年から2000年までは学生でアルバイトだった。最初の仕事はパブの皿洗い。沢山洗ったよ(笑)それから、テーブルの片付け。そこから、バーテンダー。ボーナスがあるんだ。2週間で1ケースのシェラネヴァダビール。いいでしょ(笑)。働き始めてからすぐに、シェラネヴァダで働いていることは僕の誇りになった。忙しくて、醸造所から学校、学校から醸造所の往復なんてのも当たり前だったけれど、とにかく楽しかったよ。

で、ある時、ツアーガイドをやった。ツアーガイドを務めるには、ビール検定みたいな資格を取らないとできないんだけど、その勉強もしてた。準備をしていたんだね。僕が初めてツアーガイドをやった日は、担当が急病で誰も代わりがいなかったんだ。それで『ヘイ、ブリマー! 頼む!』ってことになった。一応、大体のことは分かっていたんで、何とかこなしたんだけど、このツアーガイドが結構、評判が良かったんだよね(笑)。それで、ツアーガイドとバーテンダーの両方をやるようになった。で、ツアーガイドの客にはかなり、ビールに詳しい人がいるのさ。サンディエゴから来たビアギークとかね(笑)。当時の僕なんかより、全然詳しいわけ。そういう人が難しい質問をしてきたりする。

―それは手ごわそうですね。

SB でしょ。でも、分からないことは答えない。醸造所の担当に聞くんだ。この経験はかなり、良かったよ。ものすごく勉強になった。

で、バーテンダーの仕事に戻って働いていると、当時のヘッド・ブルワー、スティーブ・ドレクスラーがバーにやってきた。

『スコット。ウチで働いて2年になるけど、これからどうするんだ?』って。ビールを作りたいって答えた。だけど、醸造の現場で働くには資格が必要なんだよね。その資格を取得するための費用をシェラネヴァダ・ブルーイングは全額出してくれたの。コースは3つあって、そのすべてを負担してくれた。UCデービスの醸造コース…もともとはロンドンの大学のコースなんだけど…あとはシカゴのシーベル醸造研究所。シーベルのほうはインターネットでの授業だね。

 

今でも、僕はシェラネヴァダ・ブルーイングの一員だよ。

―シェラネヴァダで働き始めたころから、ブルワーになりたかった?

SB いや、最初はそんな考えはなかった。ただし、大学をカリフォルニア大学チコ校に決めた、そもそものきっかけにはなっているよ。サンディエゴにも行ったし、いろいろな大学を見に行った時に、チコでシェラネヴァダ・ブルーイングを初めて見たんだよね。シェラネヴァダ・ペールエールをその時に初めて飲んだ。『絶対にここで働いて、大学に通う』と決めた。でも、シェラネヴァダで働くのは結構大変で、学期ごとに申し込んだんだけど、断られ続けて、結局2年間は他所でバイトしていたんだよね。で、ある時、シェラネヴァダのパブで働いていた近所の人が紹介してくれて、皿洗いから入れることになったわけ。

皿洗い、テーブル片付け、バーテンダー、ツアーガイド…いろいろなことを知るにつれて、この仕事を面白い、と思えるようになってきた。でも、きっかけはツアーガイドかな。ビール醸造の現場にいたい、自分の仕事にしたい。これが自分のやりたいことだ…と思うようになったんだね。

―なぜ醸造の現場なんですか?

SB まず、シェラネヴァダ・ブルーイングは世界最高のブルワリーで、その一員になれる、というのが魅力。それから、醸造の現場は…何というか、チームスポーツみたいな雰囲気があるんだよね。タンクを洗浄して、仕込みをして、発酵を管理する…あ、NFLが好きなんだよね?

―ええ、大好きです。皆が嫌いなペイトリオッツ(笑)のファンですけど。

SB はは。そうすると、チームに指示をするヘッド・ブルワーはトム・ブレイディか。つまり、クォーターバックみたいな感じかな。その雰囲気が好きなんだね。だから、醸造現場がいいと思った。

―だからと言って、一介の従業員のために学費を負担してくれるっていうのはスゴイ話ですね。

SB 僕もそう思う。それだけじゃないよ。ヨシコと僕が結婚して、日本に来ることになった時も、シェラネヴァダは1年以内に戻ってきた場合、いつでも働けるように取り計らってくれたんだ。チコの醸造所は僕のすべての始まりの場所。今の僕が持っているすべてのスキルはシェラネヴァダが与えてくれたんだね。世界中、どこへ行っても通用するホンモノの技術がある。実際のところ、シェラネヴァダで学べば、世界中のどこでもホンモノのビール作りができるよ。

―今でも、自分はシェラネヴァダの一員だと?

SB もちろん。僕はシェラネヴァダ・ブルーイングの一員だよ。

※インタビューの続きは明日以降、毎日更新します。お楽しみに。

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