2015年5月15日にオープンして以来、フジマルクラフトの主力はブリマー・ブルーイングです。醸造所はフジマルクラフトから2駅、10キロメートルも離れていません。メイド・イン川崎。文字通りのローカル・クラフトビールです。ペールエール、ゴールデンエール、ポーターの3定番と月に1度の限定版スペシャリティというラインナップ。高いクォリティ、いつ飲んでも安定した品質…スコット・ブリマーさんの作るビールは職人の手によるホンモノです。

いっぽうで、クラフトビール特有の突飛な発想、クレイジーなビール造り…とは全く無縁。敢えてトレンドに背をむけているのか? と、感じることもしばしばです。

スコットさんは何を考えていて、どうしたいのか…。

そもそも、今までどうやってキャリアを積み重ねてきたのか…ざっとした経歴ぐらいは知っていましたが、じっくりと話を聞くことはありませんでした。お互いに、結構、忙しいんですよね…。

フジマルクラフトがこれまで、絶対の自信をもってサーブしてきた主力ビールを作っているスコット・ブリマーさんがどんな考えでビールを醸造しているのか、どういう人なのか…4周年を機にじっくりと話しを聞いてきました。

結構、長いんで、数回に分けてアップしますね。

インタビューは2019年の2月に実施したものです。―はフジマルクラフトの質問。SBはスコットさんの回答。話はあっちこっちに飛びますが、できるだけ割愛はしないようにまとめました。

  • インタビュアー:フジマル・マスター
  • 通訳:ダリル・チネン
シェラネヴァダ・ブルーイングで働いていたころのスコット・ブリマーさん

シェラネヴァダ・ブルーイングから始まった。

―最新のスペシャリティ、レジリエンスIPAはシェラネヴァダ・ブルーイングのチャリティですよね。なぜ、これを作ったんですか?

SB ヨシコと僕はカリフォルニア州のチコで出会って結婚した(カリフォルニア大学チコ校)。チコにはシェラネヴァダ・ブルーイングがあって、僕のブルワーとしてのキャリアはそこからスタートしてるんだよね。

で、去年11月のキャンプファイア山火事で、パラダイスという町が全滅した。パラダイスはシェラネヴァダ醸造所から車で15分くらい。僕がシェラネヴァダで働いている頃、住んでいた家のすぐそばだね。サンクスギビングなんかで招待してもらった友人の家も、かつてシェラネヴァダで一緒に働いた仲間の家も全焼したし、ヨシコと僕が良く一緒にでかけた家も、森も、灰になった。

↑キャンプファイア山火事で全滅したパラダイス。(ナショナル・ジオグラフィック・ニュースより)

その様子はSNSで入ってくるし、映像も見た。僕もヨシコも良く知っている場所が焼け跡になっている。自然が豊かで、ものすごくいいところなんだよ。僕とヨシコにとっては、あそこは特別な場所。僕はシェラネヴァダ・ブルーイングに助けてもらって、今ここにいるんだよね。彼らが助けを必要とする時にはできることをする。だから、レジリエンスIPAを作った。

もちろん、チャリティに参加して、寄付するのが目的だよ。

―シェラネヴァダから依頼があったんですか?

SB いや。あれはアメリカ国内に向けてのキャンペーンだから。でも、それは僕には大した問題じゃない。だからケン・グロスマン(※シェラネヴァダ・ブルーイング創設社長、オーナー)にメールした。ウチも参加するって。すぐに、キャンペーン・コースターを送ってくれたよ。

ブリマー・ブルーイング レジリエンスIPA 2019年1月19日~フジマルクラフトにて開栓。タップハンドル下部のコースターがシェラネヴァダから送られてきたコースターです。

きっかけはツアーガイド

シェラネヴァダ・ブルーイングには何年間いたんですか?

SB 9年間。1997年から2006年だね。

―学生だった?

SB 最初は。1997年から2000年までは学生でアルバイトだった。最初の仕事はパブの皿洗い。沢山洗ったよ(笑)それから、テーブルの片付け。そこから、バーテンダー。ボーナスがあるんだ。2週間で1ケースのシェラネヴァダビール。いいでしょ(笑)。働き始めてからすぐに、シェラネヴァダで働いていることは僕の誇りになった。忙しくて、醸造所から学校、学校から醸造所の往復なんてのも当たり前だったけれど、とにかく楽しかったよ。

で、ある時、ツアーガイドをやった。ツアーガイドを務めるには、ビール検定みたいな資格を取らないとできないんだけど、その勉強もしてた。準備をしていたんだね。僕が初めてツアーガイドをやった日は、担当が急病で誰も代わりがいなかったんだ。それで『ヘイ、ブリマー! 頼む!』ってことになった。一応、大体のことは分かっていたんで、何とかこなしたんだけど、このツアーガイドが結構、評判が良かったんだよね(笑)。それで、ツアーガイドとバーテンダーの両方をやるようになった。で、ツアーガイドの客にはかなり、ビールに詳しい人がいるのさ。サンディエゴから来たビアギークとかね(笑)。当時の僕なんかより、全然詳しいわけ。そういう人が難しい質問をしてきたりする。

―それは手ごわそうですね。

SB でしょ。でも、分からないことは答えない。醸造所の担当に聞くんだ。この経験はかなり、良かったよ。ものすごく勉強になった。

で、バーテンダーの仕事に戻って働いていると、当時のヘッド・ブルワー、スティーブ・ドレクスラーがバーにやってきた。

『スコット。ウチで働いて2年になるけど、これからどうするんだ?』って。ビールを作りたいって答えた。だけど、醸造の現場で働くには資格が必要なんだよね。その資格を取得するための費用をシェラネヴァダ・ブルーイングは全額出してくれたの。コースは3つあって、そのすべてを負担してくれた。UCデービスの醸造コース…もともとはロンドンの大学のコースなんだけど…あとはシカゴのシーベル醸造研究所。シーベルのほうはインターネットでの授業だね。

今でも、僕はシェラネヴァダ・ブルーイングの一員だよ。

―シェラネヴァダで働き始めたころから、ブルワーになりたかった?

SB いや、最初はそんな考えはなかった。ただし、大学をカリフォルニア大学チコ校に決めた、そもそものきっかけにはなっているよ。サンディエゴにも行ったし、いろいろな大学を見に行った時に、チコでシェラネヴァダ・ブルーイングを初めて見たんだよね。シェラネヴァダ・ペールエールをその時に初めて飲んだ。『絶対にここで働いて、大学に通う』と決めた。でも、シェラネヴァダで働くのは結構大変で、学期ごとに申し込んだんだけど、断られ続けて、結局2年間は他所でバイトしていたんだよね。で、ある時、シェラネヴァダのパブで働いていた近所の人が紹介してくれて、皿洗いから入れることになったわけ。

皿洗い、テーブル片付け、バーテンダー、ツアーガイド…いろいろなことを知るにつれて、この仕事を面白い、と思えるようになってきた。でも、きっかけはツアーガイドかな。ビール醸造の現場にいたい、自分の仕事にしたい。これが自分のやりたいことだ…と思うようになったんだね。

―なぜ醸造の現場なんですか?

SB まず、シェラネヴァダ・ブルーイングは世界最高のブルワリーで、その一員になれる、というのが魅力。それから、醸造の現場は…何というか、チームスポーツみたいな雰囲気があるんだよね。タンクを洗浄して、仕込みをして、発酵を管理する…あ、NFLが好きなんだよね?

―ええ、大好きです。皆が嫌いなペイトリオッツ(笑)のファンですけど。

SB はは。そうすると、チームに指示をするヘッド・ブルワーはトム・ブレイディか。つまり、クォーターバックみたいな感じかな。その雰囲気が好きなんだね。だから、醸造現場がいいと思った。

―だからと言って、一介の従業員のために学費を負担してくれるっていうのはスゴイ話ですね。

SB 僕もそう思う。それだけじゃないよ。ヨシコと僕が結婚して、日本に来ることになった時も、シェラネヴァダは1年以内に戻ってきた場合、いつでも働けるように取り計らってくれたんだ。チコの醸造所は僕のすべての始まりの場所。今の僕が持っているすべてのスキルはシェラネヴァダが与えてくれたんだね。世界中、どこへ行っても通用するホンモノの技術がある。実際のところ、シェラネヴァダで学べば、世界中のどこでもホンモノのビール作りができるよ。

―今でも、自分はシェラネヴァダの一員だと?

SB もちろん。僕はシェラネヴァダ・ブルーイングの一員だよ。

ベアード・ブルーイングから御殿場高原ビールへ

―日本での最初のキャリアが御殿場高原ビールになった経緯について教えてください。

SB うん、えーと、まずは結婚の話からだね。僕がチコ・ステイトに通っていた頃、僕はヨシコと会った。彼女は交換留学生として来ていたの。そこから、いったん彼女は帰国して、チコに戻ってきた。チコ・ステート・ユニバーシティの日本語の先生として働き始めたんだね。で、僕らは結婚して、チコに家を買って生活が始まった。でも、ヨシコは両親の面倒をみるために、どうしても日本に帰らなくてはいけなくなった。そんなわけで、僕はヨシコと一緒に日本へ来たんだよね。

奥様の佳子さんとお付き合いを始めた頃。チコでのスナップ

それで、日本に来て最初に働き始めたのがベアード・ブルーイング。今は修善寺に工場が移ったけど、僕がいたのは修善寺に移る前。沼津フィッシュマーケットタップルームに隣接した醸造所で働き始めた。ブライアン以下、ベアード・ブルーイングの人たちは全員が素晴らしい人。楽しかったよ。でも、そこにいたのは数か月。知り合いに御殿場高原ビールの人がいて、僕がベアードで働いていたころ、御殿場高原のドイツ人の醸造スタッフがやめちゃって人を探しているってことだった。そこからだね。

―そのころから、自分のブルワリーを立ち上げようというプランがあった?

SB いや、全く。御殿場高原にいたのは5年間。5年間勤めたあと、実はシェラネヴァダから連絡があったんだよね。そのころ、シェラネヴァダはノースカロライナに新たにブルワリーを立ち上げることになった。シェラネヴァダもスタッフが必要になったんだね。そこでアメリカに戻れば、僕はシェラネヴァダの一員として、また働くことができる。すぐに返事をしなくてもOK。1年以内に戻ってきてくれれば、スタッフとして雇用する約束をしてくれた。かなり魅力的なオファーだよ。で、僕はヨシコと話しをしたんだね。そこで、自分のブルワリーを立ち上げることにした。醸造免許を取得するための事務仕事はすべてヨシコがやる。僕はビール作りに専念する。これで独立して、ヨシコの実家のある川崎でブリマー・ブルーイングを設立する。決定。こんな感じだね。あ、あとこれはどうしても言っておかなければいけないことだけれど、御殿場高原ビールの用意してくれた条件は信じられないくらいの厚遇だったんだよ。今でも感謝してる。

御殿場高原ビールで1人何役もこなしていた頃のスコットさん

 

1人5役! 御殿場高原時代の経験が今、生きている。

―御殿場高原ビールはジャーマンスタイルですよね? シェラネヴァダとはビ-ルの作り方もずいぶんと違ったんじゃないかと思います。ジャーマンスタイルのビール作りは御殿場高原時代に習得したんですか?

SB いや。僕がいたころから、シェラネヴァダはジャーマンスタイルのビールを作っていたからね。サマーフェストはピルスナーがベースになっているビールだし、他にも作っていたから、御殿場高原ビールで初めてジャーマンスタイルのビールを作ったわけではないよ。だけど、御殿場高原ビールでは、シェラネヴァダとはやることがかなり違っていたんだよね。

―どう、違っていたんですか?

ビールの作り方そのものではなく、仕事の種類とこなし方、だね。

シェラネヴァダではモルトをミルするところから、仕込み、発酵、温度管理…すべて役割が分担制になっていて、スタッフはいわばチームだった。いっぽう、御殿場高原時代はねえ、全部やらなくてはいけなかった。何しろ、あの規模で、当時、ブルワーは5人しかいなかったんだよ。モルトのミル、仕込み、発酵と温度管理、レストランでの接客、バーテンダーもこなさなくてはならなかった。そこが一番違うところだね。つまり、すべて、なんだけど。実は、この経験が今、役に立っていると思うよ。全体を見ることが得意になった。発酵タンクの状態を見ながら、次の仕込みのためのモルトミルにとりかかる、とか、無駄なく全体の生産計画をたてられるんだ。限られた生産設備の中で、効率よく次へ進める、ってところだね。

最新流行のスタイルを追いかけることには興味がない。

―今、関心のあるビアタイルはありますか?

SB うーん、今のところは。

―ない?

SB というより、ウチみたいな小規模だと、次はコレを作りたい、といっても制限があるんだ。材料の買い付けの問題だね。いつでも、欲しいホップとかモルトが手に入るとは限らない。とくにホップ。人気のあるホップは規模の大きいブルワリーが年間契約で大量に買い付けてしまうんで、欲しいモノを必要な量だけ、こちらのタイミングで手に入れるというわけにいかない。だから、そのとき手に入る材料で何か楽しいものを考えるというやり方。

醸造所創設。最初に入れた発酵タンク。施設を拡充した今も現役です。

―クラフトビールには、流行がありますよね。例えば、今の最先端はブリュットだし、ニューイングランド/ヘイジーIPAも相変わらず大人気。サワーエールにもファンがいます。こういうものに興味がありますか?

SB ない(笑)。今はIPAがカッコよくて、次の月にはサワーエール、さて、次は何だ? もっと違うもの、目新しいものは? 何が人気? いけてるのは何だ?という人たちに向けてビール作りをするのではなくて、ああやっぱりこのビールは美味いねえ。コレがいいなあ、というお客さんを増やしていきたい、というのが僕の目指すビジネスモデル。個人的にもクラシックスタイルが好きだね。

―その考えを持つようになったのはいつから?

SB 特別なきっかけがあったわけではないよ。ただ、エクストリームなビールを求めるお客さん向けに最新流行のクラフトビールを次々に作っていく、というのは僕のスタイルじゃないってこと。ハヤリのもの、人気のあるもの、をどんどん作って消費してもらう、というのではなくて、週末にいつものお気に入り、を楽しんでもらう、その中にウチのビールがある、というのがビジネスモデルとしても、僕の理想なんだよね。

2015年5月7日 フジマルクラフト開店1週間前。ビールサーバー
の設置を手伝って(というか、ほとんどやってもらった)もらった時のスナップ。もちろん、こちらも現役です!

ドライホッピングをしない理由

―自分のお気に入りのビアスタイルはペールエール?

SB どこのブルワリーか、という意味? それとも一般的なビアスタイルという意味?

―ビアスタイルという意味。

SB うーん、とくにコレ、というのはないんだよね。バランスが取れていて、ビアスタイルの定義の中で良くできた、完成度の高いものが好き。実験的なもの、例えば、IPAだと、すごくハイアルコールなものだったり、極端にニガイもの、とかだったらセッションIPAのほうがいい。

ウチの3つの定番は、その考えを反映させているよ。ゴールデンエールはクラフトビールになじみのない人たち…フツーの日本のビールしか飲んで来なかった人たちにも飲みやすい。ペールエールは通常、アメリカンクラフトビールのブルワリーではベンチマーク。そのブルワリーの判断基準になるビアスタイルでとても重要。初めて行くブルワリーで、まず試すのはペールエールなんだよね。これが美味しいブルワリーなら、まず、他のシーズナルも美味しいよ。だから、クラフトビールをいくつも試したことのある人も、それから最近、大手のビール以外にも美味しいビールがあるぞ、と気づき始めた人のことも想定している。ポーターはクラフトビールファンの間ではかなり、評価の高い定番だけど、どちらかというと、クラフトビールを飲みなれた人を想定している。飲み口も重いしね。

―今、東京とその周辺にはものすごい数のクラフトビアバーができていて、マニアと言えるような人も増えてきているように実感します。3年前にはそれでよかったかもしれないけれど、今は副原料を使ったり、斬新なドライホッピングの方法や原料を使うスペシャリティ・ビールも必要なんじゃないかな、と思います。それについてはどう?

SB ドライホッピングに関しては、ライセンスの問題。発酵終了後のタンクに何かを投入すると、それは発泡酒ということになる。ウチはビール免許しかないので、できない。

―去年の春に酒税法が改正になったでしょ。発酵終了後のタンクにホップを投入するドライホッピングは、『ビール』として認められるのでは?

SB いや、できないよ。

―発泡酒免許を取得するつもりはないんですか?

SB ああ、それはねえ。ヨシコさんが決める(笑)

―どういう意味?

SB ブリマー・ブルーイングの代表取締役は妻のヨシコさん。だから、ヨシコさんが発泡酒免許を申請して、やれ、と言われれば、僕はやるよ(笑)

―いやいやいや。そこはですねえ。ええと…

SB オーケー、ちょっと説明するね。このブルワリーを立ち上げる時に、発泡酒免許とビール免許のどちらかを選ばなければいけなかった。発泡酒免許ならば年間6000リッターの製造でOK。ビールならば6万リッターが必要。発泡酒免許のほうがカンタンなのは分かってたよ。だけど、周囲がどうとらえるかというのは重要な問題だった。クラフトビールの業界の人間なら、日本の酒税法は理解してくれているから、別にどちらでも構わないんだけど、そうでない人たちは、『ああ、発泡酒免許ね、ちゃんとした、本物のビールは作ってないんだ』と、思うでしょ?

―でも、年間6000リッターと6万リッターの差は大きいですよね。

SB 大きいよ。酒税も沢山払わなければいけないし、正直なところ、かなりきつい。それでも、ビール免許でスタートして『ちゃんとした、本物のビールを作る醸造所』という評価がどうしても必要だった。もし今、醸造所を立ち上げるとしたら、両方とも取得するだろうね。

シェラネヴァダ・ブルーイング 「トーピード・エクストラIPA」のドライホッピング用タンク内。収穫したホールホップ(生ホップ)を容器内に詰めて、この中を発酵の終わったビールが通り、また発酵タンクへと戻っていく。
トーピード用タンクの外観。このドライホッピング用タンクの姿が魚雷(TORPIDO)に似ていることから、トーピード・エクストラIPAと命名された。アメリカンIPAのマスターピースです。(写真提供 上下ともにナガノトレーディング)

―じゃあ、今、どちらの免許も持っていたとしたら、トーピード(※シェラネヴァダ・ブルーイングのIPA )みたいなIPAを作る?

SB うーん、それには別の問題があるなあ。発酵の終わったタンクから、ドライホッピング用のタンクにビールを移動させる必要があるでしょ。そのスペースはとてもとれない。材料の保管場所とかもね。ドライホッピングをするために必要な施設と場所がないってのが現状だね。

―条件が揃えば、ドライホッピングもやりますか? トーピードのタンクは、何というか、カッコいいですよね…。

SB そうね。ドライホッピングに関していえば、興味がないわけではないんだよね。絶対にやらない、と決めているわけではないよ。でも、施設と状況が今のところ揃っていない。

そもそも、僕はトーピードのプロトタイプを飲んでるんだよ。夜のシフトの時にチェックしたんだ。シェラネヴァダ・ブルーイングにいたころ、プロトタイプができたんだよね。製品化して、出荷するころには、日本にいたんだけど。シェラネヴァダのトーピードへの取り組みはずっと見てきていて、大体知っているんだ。他にも、いろいろとプロトタイプはあって、そのころ、実験醸造でできた製品はほぼ飲んでる。まあ、どれも素晴らしかったけどね。

限られた条件で最良のビールを作る…それが腕の見せどころ。

―新しいビールのレシピを考えるときに、仕上がりのイメージはどれぐらいあるものなんですか? 素材選び、ホップの投入タイミング、煮沸時間とかを考えて『これぐらいだと、こうなるはずだ』というアイデアと出来上がりとの間に差というのはあるものなんですか?

SB 味、香り、フレイバーの当初イメージが仕上がりと違うということはあんまりないね。概ね、当初の狙い通りになっていると思う。さっきも言ったけど、ウチみたいに小さいブルワーの場合は、その時に手に入れられる材料によって作れるモノが決まってきちゃうんだよ。そこで実現可能なスタイルを考えてレシピ作りにとりかかる、という流れ。仕上がりのイメージもそこでできる。

新しいモノ、まあ、ウチの場合はスペシャリティ、なんだけれど、大体1つの素材から始まる。このモルトから、だったら何を作ることができるか、この新しいホップだったら、その特徴を生かすにはどういう組み合わせがいいか…を考える。いつでも、欲しいホップ、モルトを購入することってできないんだよ。似たような特徴の違う素材で、実現したいビアスタイルに近づけようとする、なんてしょっちゅう。

―昨年、カリプソというホップで初めてベルジャン酵母を使いましたよね? あれも、そういう背景があってのこと?

SB そうだよ。あのホップは良かった。洋ナシの香りを最大限に生かすための素材、組み合わせでベルジャン酵母を思いついた。初めて使ったけど、悪くなかったでしょ?(※2018年2月のスペシャリティ アメリカン・マイルド・セゾン)要は、大規模ブルワリーなら1年分のモルトとホップを大量に年間契約できるけど、ウチみたいなブルワリーには資金的にも保管スペース的にもそれは無理ってことなんだ。だから、その時々で工夫する。それが理にかなっているし、実際、そうしている。材料の輸入代理店も、今はけっこうあって、常に必要なものがない、というようなわけではないけれど、常に調達できる、というような状態でもない、という感じ。だけど、それはそんなに悪くないよ。不利だと思うこともあんまりない。代用できることってけっこう多いよ。

―冬になったので、カキにぴったりのどろりとしたスタウトを作ろう、みたいな発想はありますか?

SB ない。考えているのはビールの味と完成度だけで、あとはレストランの工夫に任せたいよ。こんな素材が手に入って、理にかなった料理方法を発見して、お客さんの好みを聞いてフードペアリングを考える…それって、アナタの仕事(笑)。でしょ? 僕の仕事の楽しさはまた別のところにあるよ。

ペールエール、ポーターはちょっとずつモデルチェンジ

―このブルワリーを立ち上げる時から、定番は今のゴールデンエール、ペールエール、ポーターと決めていたんですか?

SB いや、ホントはもう一つ入れたかった。それはカリフォルニア・コモン。大好きなビアスタイルで、毎年、8月の終わりに作ってるんで、知っている人もけっこう多いかな。評判もいいし、定番にしちゃえ、という周囲の声もある。できることなら、定番にしたかった…けれど、大部分の日本の人たちにとってはあまりになじみのないものだし、これを定着させるのはちょっと難しいと思う。今のところはね。

※注:カリフォルニア・コモンは北カリフォルニア特有のビアスタイル。ラガー酵母を限界まで高い発酵温度で活動させて醸造します。ラガーのスッキリしたのどごしとエールのふくよかなコクを併せ持つのが特徴。19世紀、北カリフォルニア サンフランシスコ周辺に金を求めてやってきた男たち向けにビールを醸造して売ろうとしたのが発祥と言われています。ところが、当時、五大湖周辺から持ってきた酵母はラガー用~ラガー酵母の活動適温は5度から10度くらい、いっぽうエールビールの酵母は15度から25度くらい。19世紀なので、冷蔵庫はありません。温暖なカリフォルニアでラガー? 無理じゃん…いやいや、10度くらいってのは微妙にいけるんじゃない? っていうことで、強引にやってみたらできちゃいました。しかも、これがキレとコク、ホップの香りもふくよかな絶妙バランスの素晴らしいビールになった。というのがてんまつです。このビールを作ったのがアンカー・ブルーイング。下面発酵といって、発酵タンクの下のほうからじっくりと発酵が進むのが特徴のラガー酵母ですが、活動できる限界高温で発酵させたところ、酵母は激しく活動、ものすごい勢いで発酵タンクの上面まで噴き出すように発酵するところから、「スチーム(蒸気)ビール」とアンカー社は名付けました。スチーム・ビールはその後、アンカー社の登録商標となったために、製法は同じでも、他社が名前を使うことはできないので、このスタイルのビールはカリフォルニア・コモンとなっています。アンカー・ブルーイングは全米で最も歴史のあるクラフトビール・ブルワリー。シェラネヴァダ創業のケン・グロスマンさん、ストーン・ブルーイング創業のグレッグ・クックさん、ローグ・エールのヘッドブルワー、ジョン・マイアーさん、などアメリカンクラフトビール界の重要人物に影響を与えてきました。もちろん、今でも活躍中です。

―3つの定番はスタート当初からレシピは変わっていませんか?

SB ポーターはかなり、変わった。実験的な試みもやったし、また、もとに戻したり、そこからまた少し変えたりしている。

―かなり、味が変わったので、分かります。なぜ、変えようと思ったんですか?

SB より、モルティに。より、ロースティにしてみたかった。だけど、酒税法上の問題もあって、二転三転したんだよね。ゴールデンエールは、ほとんど変わっていない。ペールエールについて言うと、実は昨年からほんの少しづつ変えている。IBUをちょっとずつ高くしているんだよね。

―あれ、そうですか? 理由は?

SB うーん、もう少しホッピーにしたほうが良いと思った。アメリカンペールエールに慣れてきた人も増えてきたみたいだし。

IPAに近づいてきている?

SB そう。結局ね(笑)。誰も気が付かないみたいだけど(笑)。

―使っているホップは同じ?

SB 同じ。センチニアルとカスケードだね。

IBUは?

SB 35から37~38。数値的にはあんまり変わっていないと思うよ。でも、今やほぼIPAだね。

レチェスターのJDウェザースプーン醸造所。息子さんのケン君も一緒に。

レッドエール~イギリスからの招待状

―2年前にイギリスに行きましたよね。イギリスのブルワリーとコラボレーションして、ビールを作ったでしょ。あの時はどういう種類のビールを作ったんですか?

SB レッドエール。

―何というブルワリーですか?

SB あれはね、ブルワーのコラボレーションというのとは違うんだ。僕を呼んでくれたのはJDウェザースプーンという会社。ホテル、レストラン、パブを持ってる。イギリスではパブだけで1000以上を経営していると聞いたよ。飲食産業複合コングロマリットといったほうがいいと思う。クラフトビールブルワリー、というのともビール会社というのともちょっと違う感じの組織だね。そこのインターナショナル・ブルワー・チャレンジというイベントというか企画に呼ばれてビールを作った。マンスリーで提供するスペシャリティ・ビールとして、世界中からヘッド・ブルワーを招待してビールを作り、それをウェザースプーングループでデリバリーするんだよ。

JDウェザースプーン インターナショナル・ブルワリーチャレンジ というイベント用にJDウェザースプーンが製作したポスター。イベント期間中はこのポスターが全英のJDウェザースプーン傘下のパブに掲げられた。

―なぜ、スコットさんが招待されたんですか?

SB 分からない。誰かが僕のことを推薦したんじゃないのかな。最初にメールが来たときはフェイクだと思った。いたずらか、サギみたいな(笑)。それで、知り合いに電話して聞いて回ったんだよね。そうしたら、どうやらちゃんとしたオファーらしい…と。航空券、宿泊費…すべて用意してくれて、至れり尽くせりの招待だったよ。

―醸造所はイギリスのどこにあったんです?

SB レスター。いや、レチェスター…だったかな。でかかったよ。素晴らしい施設だった。皆、親切だったし、あれはすごくいい経験だった。好きにやらせてもらえた。コラボレーション・ビールって企画はけっこうあるけど、実際にやるとなると、コレには触らないで、とかいうケースが良くあるからね。

―この企画用にレッドエールのレシピを用意したんですか?

SB いや。ウチでスペシャリティとして、何度が作っているアイリッシュレッドエールと同じ。ココで作ったあとにも、同じレシピで日本でも出したよ。フジマルクラフトでも、何度も出してるでしょ? あれと同じもの。

―材料はどうしたんですか?

SB 基本的には、向こうで用意してくれたんだけど、全く同じものというわけにはいかなかったんで、いくつかは代用した。問題なかったよ。

ブリマーさんがいつもサーフィンしていたこのポイント(サンタクルズ周辺…だったと思う)には大きい松の木があって、海から上がったあとにその木陰でビールを飲むのがサイコウだったんだそう。ブリマーブルーイングのロゴの松の木はそこから来てます!

ブリマー一族は働くのが好き

―ビール以外に、飲むお酒はありますか? 好きなお酒はある?

SB いや、ビールだけ。大学生の時は、そうじゃなかったけどね。皆と同じ(笑)。バカみたいな飲み方もしたよ。

―テキーラショットとか?

SB そうそう。体質的に、ビール以外のお酒はあんまり合わないみたいなんだ。ウィスキーみたいなハードリカーだと、二日酔いしたり、飲んだ時のことを良く覚えていない、とかいうことが良くあるね。お正月に日本酒をちょっと飲んだり、とかその程度だったら問題ないよ。全く受け付けないとか、そういうのではないけど自分から、ビール以外のものを飲もうとはしないな。

20代の時からそうなんですか?

SB そう。ビールだけが好きだね。でも、今の仕事のことを考えると、この体質で良かった、と思ってるよ。

―チコは出身地なんですか?

SB チコはシェラネヴァダ・ブルーイングとカリフォルニア大学チコ校があるところ。僕はそこから少し離れたモデスト、という街で生まれて育った。チコに住んだのは大学に通うため。モデストは映画監督のジョージ・ルーカスの出身地でもある。アメリカン・グラフィティって映画、知ってる?

―もちろん。

あの映画に出てくるメルズ・ドライブインのあるところがモデスト。

―今もあるんですか?

SB うん、今もあるよ。メルズ・ドライブインはカリフォルニアに何軒かあって、ほとんどの日本人はメルズ・ドライブインはLAのお店、と思ってるだろうけど、最初は確かサンフランシスコ。で、そのあとにモデストにもできた。何号店なのか知らないけれど、とにかく、ジョージ・ルーカスが若い頃にはもうあって、その時代から50年代の内装で、クールだった。ジョージ・ルーカスがアメリカン・グラフィティで描いたあの町は、まさにモデストのことだよ。実際のところ、モデストは、あの映画みたいな感じ。メルズに行って、クルマで町を流して、女の子をナンパして…週末はそれで終わり。

―モデストに、戻って住みたいと思いますか?

SB いや。思わない。僕のビジネス拠点はここだから。

―モデストはのんびりした平和な街? 映画、アメリカン・グラフィティに描かれた当時のまま? 平和だけど、ちょっと退屈というか。

SB うーん…今はそうとも言えないかなあ。ホームレスも増えてるし、ドラッグがらみの犯罪とか、そういうのもけっこうある。ちょっと危ないかな。まあ、僕の両親は全然問題ない、と言ってるけどね。

息子を育てることを考えても、川崎はいいよ。川崎って、日本の世論ではいろいろと言われることも多いみたいだけど、すごくいいところだと思う。

―ご家族は今も、皆さん、モデストにお住まいなんですか?

SB 両親はね。姉が1人いるんだけど、ダンナと娘2人と一緒にオークランドの近くにいる。仲のいい家族だよ。NBA見てるんだよね?

―はい。ずっと見てますよ。

SB ゴールデンステイト・ウォリアーズのオラクル・アリーナから車で30分のところに住んでいるよ。通称イーストベイってところ。

―ご両親はお元気ですか?

SB まあ、おおむね大丈夫。母親は今も元気に働いている。父親のほうは学校の先生だったんだ。だけど、今はちょっと内蔵に問題があって、体調完璧ってわけではないかな。

―お母さんは料理、上手でしたか?

SB いや、あんまりやらなかったな。母親はビジネスパーソン。好き嫌いもけっこうあったから。自分で食べたいものは自分で作る。ウチはそういう家族。だから、自分で料理した。

―じゃあ、ご自身は料理は得意?

SB いや、カンタンなものだけだね(笑)

―ブルワーになる、と言った時、ご両親は何と言いました?

‐スコット、そりゃ大変な仕事だぞ。やれるのか? 覚悟はあるのか?

‐やれる。全く問題ないよ。

‐そうか、じゃあ行け。頑張れよ

……そんな感じかな。ブリマー一族は働き者なんだ。特に祖父母のほうの家族は自分で商売をしている人が多い。祖父はクリーニング屋でね、遊びに行っても仕事の手を止めないんだ。遊びに行くとクリーニングを終えたカーテンの配達を良く手伝った。学校がクリスマス休暇の時でも、だよ。だけど、子供のころの僕はそれが全然イヤじゃなかった。働くのが好きなんだ。

―大学に通っていた時から、自分でビジネスをやろうと思っていたんですか?

SB いや。全く。こうなったのは、いわばハプニングだね(笑)。

―哲学科に進んだのは何故ですか? 作家になろうと思っていた、とか?

SB アメリカの大学は、最初の2年間は基礎コースで、専門分野を選ぶのは3年目からなんだよね。その基礎コースで取得した単位のうち、哲学分野に近いものが多かった。だから、まあ自然な流れでそうなった。作家なんて、全く想像もできないよ。ホント言うと、むしろサイエンス方面のほうが得意なぐらいで、数字を扱うのは好きだし、向いていると思う。

―もし、ブルワーになっていなかったら、何になっていたと思います?

SB うーん…考えたこともないなあ。でも、体を動かすのは好きだし、スポーツ全般が好きなんで、フィジカルトレーナーとか、そんな系統の仕事を目指していたかもしれない。

―サッカーをやっていたんですよね。

SB サッカーだけじゃないよ。フットボール、テニス、サーフィン、スノーボード、あと自転車が得意。北カリフォルニアの大会で2位になったことがある。陸上競技、あと、レスリングもやった。

―文学、科学、スポーツの3つだったら、どれが得意?

SB ああ、そういう意味だったら、間違いなくスポーツ。だから、その分野で、ちゃんと仕事になるものを想像すると、サッカーの審判か、あとはライフガードといったところかな。

好きなブルワリー トップ3は、シェラネヴァダ、アンカー、デシューツ

 

5月28日(火)現在、フジマルクラフトにあるシェラネヴァダのラインナップ。左からホップ・バレット・ダブルIPA、トピード・エクストラIPA、ペールエール、オトラベズ・ライム&アガベ です!

 

―少し前に、好きなブルワリーを3つ挙げてください、と尋ねたら、シェラネヴァダ、アンカー、デシューツと答えてくれました。シェラネヴァダに関しては良く分かりました。あとの2つを上げた理由を教えてください。

SB アンカーは他のどのクラフトビールブルワリーとも違う。すべてのクラフトビールの始まり。他の誰もできなかったことをなしとげたブルワリーなんだ。独創的で楽しいクラフトビールを作る。サンフランシスコのブルワリーだけど、同じカリフォルニアでも、サンディエゴのブルワリーが作るみたいなとにかく苦いIPAとか、クレイジーなビールとはちょっと違ったやり方なんだよね。でも、独創的で楽しく、なおかつ地に足がついているというのが特徴だと思う。『アンカー・スチーム』は僕の大好きなビール。

アンカー・ブルーイングが送り出した2019年春の限定醸造。ベイキーパーIPA。軽快な飲み口とばしっと来るホップの苦味、ホップ由来の柑橘アロマ、スッキリした後味が特徴です。クライロホップとオーツ麦を使って、ジューシーに仕上がっているけれど、「濁って」はいません。

デシューツは、シェラネヴァダと似ていると思う。基本的なラインナップはクラシックスタイルをベースにしたものが多い。そして、外れがない。6本パックを買っても、すべてバランスが取れているのがいいところだね。

シェラネヴァダもそうだけど、クラシックスタイルをベースにして、質の高いビールを安定した品質で作るブルワリー、というのが質問に対する僕のジャッジの基準。

ポートランド、パールディストリクトにあるデシューツの店内。パールディストリクトはポートランドダウンタウンの北側にあって、元は倉庫街。その倉庫をリビルトしたブルーパブ(醸造所併設のパブ)がひしめいていいます。その中でも、たぶん人気ナンバー1。ビールの質、管理、フードの質、サーブの技術、接客…すべて一級品です。(撮影:フジマルマスター)

―今のアメリカンクラフトビールと日本のクラフトビールシーンについて、どう思いますか?

SB アメリカのクラフトビールシーンについてなら、たぶん、あなたのほうが詳しいよ(笑)。というかね、シーンを意識するという考え方が僕にはあまりない。だから、評判になっているものを次々に試すということがない。全く飲んでいないわけではないけれど、今、人気のあるスタイルにはあんまり…

―興味がない?

SB ニューイングランドスタイルってすごく人気があるでしょ。

―大変なもんですよ。

SB 正直言って、どこがいいのか分からない。やたらIBUの高いIPAとか、クレイジーなABVのハイアルコールとか、サワーとか…見たことのない目新しいものが話題になっていて、これはビジネスという側面から言えば、まあ、ありなんだろうけれど、僕は興味がない。あと、日本のクフトビールシーンだっけ?

―そうです。

SB まず、比べることに意味がないと思う。アメリカと日本ではそもそも文化が違う。今、アメリカではコレが流行ってるんだよ。知らないの? やっぱり、日本は遅れているのかなあ…という態度が嫌い。日本のクラフトビールは『地ビール』から始まったでしょ。当時は、ひどいビールが多くて、『地ビール』の印象は良くない。マーケティング優先で、大手が参入した手抜き地ビールの影響もあると思う。でも、そこから始まって、腕を磨いて、頑張って、今、生き残ったブルワリーは高い品質のものを作り続けていると思うよ。マイクロブルワリーと言っても、アメリカと日本では規模が全然違う。日本ならではの、完全に独立したマイクロブルワリーのやり方がある、と僕は思う。

―ブリマー・ブルーイングの今後についてはどうですか?

SB 絶対にこうする、という方針をセットするのはちょっとリスキーだね。でも、まあ、短期的な目標と長期的な目標、というのはあるよ。短期的にはね、ロゴを変えたい。ブルワリーを立ち上げて、7年たっているからね。もう少し、時代にあった感じにしてもいいかな。長期的には、醸造所の規模を拡大したい。こことは別の醸造所で、レギュラーラインナップをまかなって、大きい契約が取れた時は、ここで作る、というイメージかな。ただし、今は東京オリンピックの前で建設には通常の3倍の予算が必要になると思う。だから、これについては、はやくても2021年だね。あ、そうだ。シェラネヴァダから「レジリエンスIPA」のロゴ入りコースターが送られてきたんだけど、持って行く?

―もちろん。いただけるだけ、いただいていきます(笑)。

※フジマルクラフト4周年記念 スコット・ブリマーインタビュー はこれにて完結。時間の制約等で、作りこめなかった部分もあったので、このページは不定期にて、動画、写真等を予告なく追加&改良していきますのでお楽しみに!ブリマー・ブルーイングのビールとフジマルクラフトを今後ともよろしくお願いいたします。また、本企画にあたって、協力していただいた㈱ナガノトレーディング、無償で通訳を買ってでてくれたダリル・チネン氏に感謝します。